Cs高濃度廃棄物

岩手県が公募しているCsの汚染物の除去方法について応募した。

土曜日に徹夜して書類を作り上げたが、低濃度と表現しているだけで実際の濃度はわからない。

いつも役所のやることは曖昧な表現で、責任逃れのやり方であるな、と感じながらの応募。

牧草、稲わら、ほだ木等の除染とある。 ほだ木とは椎茸の原木で、岩手県内に処理対象が350万本あるんだってよ。

 最近の記事で目立つのが、今まで控えていたであろうと思われる事実が次々と出ていることだ。

政権の交代が予想されることもあるのだろうか。

政権が変わろうが、変わるまいが事実は事実で、動かせないものなのに情けないマスコミだ。

以前にも書いたかもしれないが、焼却灰中の高濃度セシウム廃棄物の捨てる場所がないとので、対策を相談されたことがある。

8000ベクレル以下なら埋め立て処分可能であるので、高濃度のものを希釈して捨てようというものだ。

同席していた池田(弊社に在籍していた博士・5月に逝去)が、顔を紅潮させて怒ったことが昨日のことのようによみがえる。

「鉛や水銀を薄めて基準値以下にすれば、川に流してもいいのか。この世で一番危険な放射性物質を、希釈して捨てるという発想がどこから生まれるのだ」

このような観点から、放射性物質対策を見ていると、「またか」ということが良くあるよ。

明日は除染で出た水の処理のことである会社を訪問するのだが、「またか」という結果にならないように祈るしかないかな。

 

原始人になろう

レイノ宣伝隊
, 雑感

台東区の生涯学習センターに行ってきた。

インターネットで沈殿材(溶液の中でふわふわ浮いているものを底の方に沈めるもの)を探していた。

その中で、今日と明日の2日間足立区のNPOが、展示説明会を行うとの案内があったので、連絡をして出向いた。

環境フェスタで、様々な展示が行われていた。 小生は少し早目に到着して一通り覗いてみた。

特別に目新しいものは探せなかったが、熱心に活動している姿に感動を覚えた。

お目当てのNPOの責任者に会って、当方への協力要請をして快諾を頂いたので有難い限り。

 環境浄化のテーマで必ず出てくるのがバクテリアである。

地球の誕生から今日まで、生命活動になくてはならない生き物なのだが、最近はどうも「衛生」の名のもとに葬られている。

つまり、清潔が一番良いことなのか?

清潔にしすぎると、人間が本来持っている免疫力を低下させ、かえって感染症にかかりやすくなるのだ。

例えば、人の皮膚にいる黄色ブドウ球菌はダニや化学物質から皮膚を守り、腸内の大腸菌は口から入る病原菌をやっつける。

抗菌グッズや抗生物質でこうした菌を殺していまうと、ダニや病原体から身を守ることができなくなってしまうのだ。

だから、自然治癒力が失われてしまうのだぞ。

人間も自然も自然治癒力を回復することが大切なのだ。

笑うから楽しい

今日は「非常用携帯トイレ」の営業で、老人ホームを6箇所訪問した。

どのホームも構えが凄い。 よほど儲かる商売なのだろうと、ひと目でわかる造りだ。

ただ、たまに入所者を見かけたりすることがあるが、一様に笑顔というのを見たことがない。

同様に、働く職員の笑顔に会う事がないのは、施設に共通していることである。

 ところで、「笑う門には福来る」と言うが、「楽しいから笑うのか」「笑うから楽しいのか」、科学的に解明する?

笑うと頬の筋肉が収縮するので、脳から静脈を通って心臓へ帰っていく血液の流れがせき止められる。

そこで、やむなく血液は鼻の奥の方を迂回して心臓に向かう。

ところで、心臓を出てきたばかりの血液は温かいのだが、脳で仕事をしたあと心臓へ戻る血液は、冷たくなっている。

「で、暖かい血液が冷たいのと鼻の奥ですれ違い、冷やされて脳に行く」

大事なのは、脳は冷たい血液を好むということです

つまり、脳が冷やされるほど、人は快感を覚え楽しくなるのだ。 

「だから、笑った表情を作れば、楽しい気分になってくる」 

逆に眉に皺を寄せて不快な顔をしていると、冷たい血液は迂回せずそのまま心臓に戻ってしまい、「脳が冷やされないので不愉快になってくるのだ」

大事なことは、笑顔を作って、頬の筋肉を緩め、血液の流れをせき止めるように・・・と言われても出来ないよ。

だから、作り笑いでもいいから、練習することだそうだ。

 

 

 

見ざる、聞かざる、言わざる

日光の三猿に申し訳ないくらい、悪いボス猿、牝猿、巾着猿やその他用無し猿だ。

国家間でも取った取られたの領土問題だが、 議員の中でも行くの、出るの、残るの・・・どこに行くのが自分に有利かの話じゃないのかな。

出ていく人は箸にも棒にもかからない人と言うが、残る人は澱んだ水のカスみたいなものだろう。

政治の世界だけじゃなく、何もなかった時代の方がまだ思いやりや労わりがあったような気がする。

今、人の心が見えなくなった時代なのか。

見えなくなったのは、自分だけの幸せや利益だけを追い、他人のことを考えなくなったせいではないか。

相手の言い分を十分聞き、その上で自分の主張をしなければお互い納得しない。

 相手の事情を「見ざる」、主張を「聞かざる」、それでいて自分の主張以外は「言わざる」では未発達の幼児だ。

だから、「見て、聞いて、語って欲しい」。そのバックボーンに相手を思いやる心が見えるかだ。

衆議院選挙だってさ

何をやってんだろうね。 この暮れに衆議院の選挙をやるんだってんだから。

突然言い出そうが、突然でなかろうが、そんなことはどうでもいいことだ。

こうなったら、今度の選挙で勝つ政党の党首が、総理大臣になるということだ。

今日のラジオで川柳を紹介している中で、「いしはら・やまぐち・おざわ・あべ・はしもと・みんなダメ」 こんなのがあった。

 ところで、昨日の朝日新聞に「福島に人権宣言を」。弁護士が中心になってまとめたものだ。

今頃だよ。既に2年近くになっても人権がおざなりなんだ。

憲法が保証する、本来当たり前のはずの権利が奪われているのだよ。

かたや、国会ではこんなことも一歩も進まず選挙だ。福島や東北の被災者はどう思うかね。

あと二日の会期末で決まったのが年金の減額で、公務員の退職金減額は決まらずに現行どおりだぜ。

やっていることが酷すぎやしないか。