備えあれば、

雑感

人生何が起こるかわからない。

一寸先は闇というが、昨日まで何事もなく過ごしていても、旅先のエジプトで気球が爆発して事故死。

また、ある時は地震や台風等の自然災害にあったりもする。

天災は人間の力で食い止められるものではないので、対策にも限界がある。

ただ、何もしないでいたのでは、「もしもの時」が起きたら困るのは当人だ。

小社では非常用のトイレを開発・製造・販売を行っているが、東北大震災以降関心は高まっているが、備蓄をするまでにはなかなか至らないのが現実。

何故か。 良くわからない。

 また、空気清浄機への関心も高まっているが、恐らく自分は(自分だけは)大丈夫と考えている節があり、トイレと同じような考え方であろう。

放射性物質にしても、目に見えない・影響が出るのが先の話なだけに、心配する方が可笑しいような雰囲気ができているようだ。

大気汚染にしたって、西日本だけでなく東北の蔵王でも高い濃度が検出されているのだぞ。

目に見えないモノには金を使わない日本人。

片や、捨てるものには絶対に金を出さない人種が隣にいるのだ

 

 

 

 

 

 

 

大学を訪問

Y氏と東京薬科大学の生命科学科を訪ねた。

小生が以前勤務していた会社と縁があって、OBの知人がいた頃は何度か訪問したことがある。

20年ぶりぐらいの訪問であったが、建物等に記憶のあるものは何一つなかった。

今日の訪問目的は、pm用空気清浄機についての相談だ。

デモ機を持ち込んで、実際を見てもらってご意見を賜った。

pmに関しては小生が勘違いをしていた部分もあって、教えていただき有益な時間であった。

勘違いの内容は、pm2.5は、発生源から出た微粒子は1.0μm以下であって、大気中で凝集して大きな?2.5位になるのだ。

それでも、全てが凝集するわけではないから、2.5μm以下のものが相当量存在するということだった

 小社の「AT-2000」に関しては、「水で空気を洗浄する」という構造の空気清浄機は初めてである。

この洗浄理論は「理に叶っているはず」とのご意見を賜り、小生の考案に間違いがなかった事に意を強くした。

今後の課題として、水で空気を洗浄してどの程度のpmを除去できるかの測定であり、共同で解析を進めていくことになった。

今後も開発を続けていければ、もっと人類に貢献できるだろう。

ロシア旅行記(2)

ロシアのウラジオストックに行って、サウナに入って失敗した時の話をした。

本日はその続きである。

訪問したロシアの会社で、歓迎会を催していただいた。

茹でたじゃがいもに「いくら」を載せて頂くのであるが、実にうまい。

「いくら」はロシア語であるが、殆どの食べ物にサワークリームが付いてきた。

別の所の食事では、ソーセージを頂いたが、その大きいこと(写真)。主菜でも通用する大きさだ。

この後も色々食べて満腹になったら、「主菜は魚と肉のどちらにします?」と、聞いてきた。

腹いっぱいであるが、「魚にします」。 するとどうだ、サーモン一本が焼かれて出てきたのには呆れた。(写真)

さすがに、切り身を1切れもらって、目前にすると何しろ大きいのだ。

味は塩のみだから、ちょっと物足りない感じはあるが素材がいいから美味しいのだろう?

ロシアの女性の若い時期は綺麗でスタイルが良いが、中年過ぎる頃から太って大きくなる。

ロシアの食事から頷ける内容だ。

ただ、太る食事でないと、厳しい寒さに耐えられないのであろうと思った次第。

 

寝つきが悪い

最近、寝つきが悪い。

体は疲れているのですぐ寝付けそうなものであるが、眠りに入らないのだ。

あれこれ考えを巡らしても、良い案が出るはずもないのだが余計なことを考えてしまうものだ。

おかげで、睡眠サイクルが狂ってしまったのだろう。

人間の体には体内時計があって、何かのきっかけで狂ってしまうとこのような現象が起きるらしいのだ。

夜寝付けないばかりでなく、朝もなかなか目が覚めないということがある。

現在は朝の問題はないのだが、今の状態が進むと睡眠障害を起こしかねないと思っている。

ひょっとしたら、パソコンが影響しているかな、と考えることもある。

それ迄余りキーボードを叩くことも少なかったのが、一日の半分をパソコンの前で過ごすことがある。

もう年齢も順調に重ねてきているのであるから、無理をするとすぐ症状に現れるのだ。

やはり、体力は着実に衰えるものである。

ロシアに行った時の事

未分類

元首相の森喜郎氏がロシアを訪問して、北方領土交渉の地ならしをしているとのこと。

氏はモスクワを訪れているのであるが、小生は10年ぐらい前にロシアの東に位置するウラジオストックを訪ねた。

新潟から1.5時間位の場所で、日本は8月で暑かったがウラジオは過ごしやすい気温であった。

お金があれば、夏の期間はウラジオで過ごせたらいいな、と思ったぐらいだ。

坂の多い古い町で、街並みはイタリア建築が点在していて綺麗である。

ウラジオの駅舎はシベリア鉄道の終着点で、イタリア人の設計で見事なものだった。

 ビジネスで訪問したので、ロシアの鉱山関係の会社を訪問した。

会社まで行くのにウラジオの街から、600kmを2台の車で飛ばした。

平坦で山も見えない、全く景色が変化しない道を延々と走るのだ。

砂漠と同じで車の通行もないし、人の気配がないので何かあったら困るので2台で走るのだ。

やがて、目的の会社に到着。 歓迎のやり方が印象的だったので失敗談を含めて書こう。 

まず、サウナにどうぞというわけで、ロシア人と一緒に。

中では、白樺の枝で背中を叩いてくれるのだが、何しろ体が大きく力が強いので痛いことったらありゃしない。

暑くてサウナを出ると、水が入ったドラム缶があったので、そこに飛び込んだ。

ところが、その水は飛び込むものでなくて、水を汲んで被るものだった。

ロシア旅行記(1)・・・失敗の巻(この続きは後日)