バッテリーあがりで

昨夜は帰宅しようと駐車場に行って、ドアを開けようとキーのボタンを押すが反応しない。

一瞬、車が壊れたのかと思ったが、ドアに鍵を挿して開け、エンジンキーを回してみた。

何の反応もないではないか。

これは弱った。 JAFのカードがあるので呼ぼうか、どうするか迷ったが、結局泊まっていくことにした。

明日は休日だし、用事といえばお墓参りぐらいものである。

たまには一杯飲んで、夜の八王子を堪能するかと昔馴染みの所を覗いてみた。

この不景気にお店は客で一杯である。

ちょうど休みの前夜のお花見帰りの客が、立ち寄った雰囲気である。

小生は5~6年前まではカラオケが好きで、通った店もまだ何軒か残っている。

その中の一軒に寄り、久しぶりに下手なカラオケを歌った。

久しく歌っていなかったので、新しいものは歌えないのは当然であるが、何しろ声が出ない。

特に高い声を出すのが苦しい。 歌いだすと、次々と歌いたくなるから不思議だ。

そんなことで、朝になって知り合いに車を持ってきてもらい、バッテリーを繋いでエンジンをかけた次第。

たまには電気の消し忘れで、バッテリーが反応しないのも良しとするか。

卒業式

雑感

今朝は6時30分に起こされた。

先週の土曜日に言われていたのだが、すっかり忘れてしまった。

今日は孫の小学校の卒業式であったのだ。

卒業式と爺さんとどういう関係があるのかというと、実は袴を着けるので見せに来るというのだ。

写真の通り、一端のお嬢様の卒業スタイルである。

それにしても、最近の小学校は卒業式で袴を着衣する時代になったのかと、驚いた限りである。

既に我が子が卒業してから20年以上経っているのだから、世の中も変わって当然ではある。

孫の育っていく様子は、定期的に観察しているので「成長が早いな」と、感じることが多い。

それに引き換え、小生は既に老境に入っているという自覚が全くない。

このことを考えることは滅多に無いが、意識して遠ざけようとしているのかも知れない。

「老いては子に従え」と昔の人はよく言ったものだ、と感心した本日。

WBCが終わった

やっぱり優勝は遠かった。

引き受ける人が人が難航した末に、山本浩二氏が監督を引き受けたので、頑張れと応援したい気持ちになった。

いざ、一次予選が始まると、苦戦の連続だった。

日本の一流選手の大リーガーが抜けた「サムライ」じゃ無理かと何度も思った。

中日の井端選手は、何度もいぶし銀の働きでチームの窮地を幾度も救ったことは彼の努力の跡であろう。

にもかかわらず、「日本は決勝に行くのは無理じゃないか」と、感じたのは私だけではないだろう。

野球だけでなく、スポーツ全体に衰退現象みたいなものを感じるのだ。

商業主義によるプロスポーツ振興が、スポーツの底辺拡大を阻害しているかもしれない。

プロスポーツは種類の広がりが大きくなり、表面上豊かになったかに見える日本では、絶えず新しい刺激を演出するイベントが目白押しである。

このような状況下で、ひょっとしたら「成績不振不感症」になってしまっているのかもしれない。

勝負は勝たなければいけない。 大きな期待や関心を寄せられたら「勝とう、成功してやろう」と意欲を出すはずだ。

人間は失敗をすると、苦境に立つ。 

失敗の持つ痛み、苦しみは味わった人にしかわからないのだ。

この苦境を経験して、乗り越えてやろうと、思った時から勝利は近づいているのだろう。

九尺二間

花見の季節に、東京では上野だろう。

江戸は18世紀に入る頃には、約100万の大都市だったという。

大きな屋敷を構えていたのは、武家と寺社であった。

人口の半分の町人たちは、神田から東海道筋と浅草、そして墨東という狭い地域に暮らしていた。

町人の多くは、零細な職人や商人達、あるいは日雇いであった。

彼らは九尺二間(くしゃくにけん)と通称された狭い長屋住まいで、今でいう1Kから2Kのアパート住まいの住環境であった。

水や便所は共同利用で、夜になると町ごとの木戸が閉まるという囲い込まれた居住空間では、かなりのストレスが生じたと思われる。

おまけに江戸時代は身分制社会で、髪型や衣服、持ち物を見れば身分や職業がすぐにわかる時代だ。

こうした隣家の物音が聞こえ、また隣人たちの経済状態まで手に取るように分かった長屋住まいの人達にとって、むしろ人混みの中に精神的な、物理的な自由を得ていたのだろう。

両国橋の橋詰や上野広小路では、髪型からの人形操りや見世物小屋だとか、射的場などの遊興施設、そして水茶屋が作られた。

こうした盛り場へ遊びに出かけるには湯屋で身を清め、髪結い床で整髪し、身奇麗にして出かけたのだ。

湯屋は2階が娯楽センターになっていて、髪結いは町の情報センターで、町人の社交場だったのだ。

今日は「江戸文化」を紐解いてみたが、現代とさして変わらないようだ。

日本人と桜

雑感

東京の桜に開花宣言だ。

例年より早い開花であるが、確かに物凄い寒さから急に暖かくなって、驚いて開花したのではないかと思うぐらいだ。

それはともかく、東京の卒業シーズンに桜が間に合って、絵になる写真が撮れることは嬉しいことだ。

 日本人と桜の関係は奥が深い。

桜の散りざまに日本人の死生観がダブっているとはよく指摘されることだ。

日本人の桜好きには、明治以降の富国強兵策と戦争勝利と、それに伴う新興ナショナリズムがあったことも否めない。

そして今も、日本全国の小学校の校庭に戦前からの桜が数多く残っているのだ。

それらの桜の花々には、激動の時代をくぐり抜けてきた無数の国民の思いが塗り込められている。

間もなく小学校では、桜の下を6年生がくぐって去り、その後には新入生が入ってくる。

現代は、桜を平和を求める日本人の心を象徴する花として、精神の内面に位置づけているのだ。

日本は桜の国だ。 桜の花は人を見て咲くから、下向きに開花するのだ。