鳥インフル迫る

以前、中国でSARSが流行した特に、成田に到着したことがある。

小生は人生で初めて日本のテレビに映し出されたのだ。

飛行機を降りて歩いて、入国ゲートに向かう曲がり角にテレビカメラがいたのだ。

後で、写っていたぞ、と色んな方から連絡を受けたことがある。

その頃は、頻繁に中国に行っていたが、厳重な警戒は空港だけで、街の中では殆んど対策なしだった。

その時と状況は変わっているのだろうが、今度の「鳥インフルエンザ」は恐ろしい

一部には「人から人に感染」との報道もあるからだ。

人から人に感染が広がると、それこそ大変な事態であるから、注意しておこう。

 鳥インフルの発生源として、中国・広東省が出てくるが、ここの農場に数回行ったことがある。

何しろ広い、汚い、臭い、食えない・・・い、の付く言葉だらけだ。

農場を訪問して驚いたことに600人が働く農業会社なのだ。

出稼ぎが寝泊まりして農作業を行っていたが、化学肥料、農薬万能の農業だから、土が悪くて良いものが採れない。

水は豊富にあるが汚染水であろうし、水鳥等の野鳥と鶏がこの水を飲み、人と豚と鶏が同居する環境がある。

あの場所ならどんな病気が起きても不思議ではないなと思う。

この場所でご馳走などあるはずもないが、出されたものに箸をつけられなかったが、苦い思い出だけ残った。

 

 

おかげさま人生

雑感

私の好きな昔の本に「非まじめのすすめ」(森政弘著というのがある。

不真面目ではまずいし、真面目は馬鹿と一緒という意味。

だから、非まじめでないといけないというのである。

荷車の車輪はアソビないとうまく回転しない。

つまり、真面目ではギスギスして回転しないし、不真面目ではガタガタでこれもうまく回転しない。

だから、非まじめでないと、適度のアソビがないとスムーズな回転ができないのだ。

 物事は色々の関係の中で起こったり消えたりするものだ。

単独に存在するものは無いわけだ。

私の体だって、目だけ、鼻だけ、指一本だけで単独に存在できない。

全体の関係の中で、お互いに関係し合って生かし生かされているのだ。

今日も色々な人に力をいただけた。

思いがけずご注文も頂いた次第。 

ブログも読んでくれる人のおかげで、書かせていただいている。

水銀が飛んできた

今朝の朝日新聞を読んで驚いた人も多いことだろう。

「富士山頂の大気 高濃度水銀検出」のタイトルで、市街地の10倍・中国から飛来か。

先にPm2.5に関する富士山での記事を載せたことがあるが、今度は水銀だよ。

水俣病の原因である「水銀」が日本に降っている事実は重大なことである。

 3年ほど前、かの国の活性汚泥を砂漠の植林に使えないか、という相談を受けて検討したことがある。

その時は検討の結果、「うやむやで中止」になったのである。

小生が恐れたのが今日の問題であったので、その点を議題にしたら話が止まってしまった。

活性汚泥を堆肥化するのは日本の技術を持ってすれば、大して難しいことではない。

しかし、この汚泥に重金属などの有害物質が含まれていたら、将来何が起こるかわからないからだ。

冗談半分で日本人とこの話をすると、「工場の廃棄物を工場では処理しないと捨てられないので、家に持ち帰ってトイレに流すのさ」だって。

トイレのビジネスで何度も行ったが、「かの国では”捨てるものには金は使わない”」というのを、よく聞いたことを思い出した。

マスターズ

ゴルフの祭典「マスターズ」が終わった。

日本から毎年何人も出場するが、見ていてまだまだ時間が掛かるなという感は否めまい。

試合結果はご存知のとおりだが、プレーオフ後に抱き合った両者には感動した。

アダムスコットはオーストラリア出身で、プレーオフ2回目の出場。前回は敗れているのだ。

片や、カブレラはアルゼンチン出身で、こちらもプレーオフ2度目で前回は勝利している。

決定したホールのグリーンで、残りの距離は両者同程度である。

カブレラが外して、スコットが入れた。

試合が決した。その後、両者が抱き合い、しばらくの時間が・・・。

勝手な想像であるが、両者の間に「勝者」と「敗者」の違いはあるものの、胸に去来するものには共通するものがあるに違いない。

勝負は最後に白黒がはっきりするが、今回のマスターズは気持ちが良かった。

日本からの出場選手が優勝に絡まないから、安心して観ていられる?は皮肉か。

待ち合わせの効用

活字離れが言われているが、先日は「本屋大賞」の発表があった。

百田尚樹さんの「海賊と呼ばれた男」が受賞し、TBSのラジオに本人が出ていた。

この賞は本屋で働く人たちの投票で決まるから、特別な意味があるのだろう。

100万部を超える売れ行きだから、それだけ人気が高いに違いない。

 また、今日は「村上春樹」が3年ぶりに本を出すというので、テレビがニュースで盛んに取り上げていた。

活字離れ、本が売れないとか言われるが、ニュースを見ていると若い人が次々と買っていく。

まるで、言われていることが嘘のような出来事である。

 以前は誰かと待ち合わせをするときは、必ず「本屋の1階」と決めていたものだ。

最近は待ち合わせる用事も人も少なくなってしまったので、めっきり本屋に顔を出すことがなくなった。

本屋での待ち合わせは、待たされても退屈しないことにある。

たまには、「待ち人が暫く来ないでくれ。遅れてくれ」と、思うことさえ度々である。

街からすっかり無くなってしまった「本屋さん」であるが、残っている本屋を見つけると応援したくなるものだ。

本屋に行った一番の最近は、孫にせがまれて雑誌を買いに行った時だから、小生が活字離れだな。