電池交換への対応

Auのショップに電池の件で朝立ち寄った。

9:40頃に到着したが、シャッターを半分開けているが中には入れないので外で待つ。

10::00ぴったりに女性がシャッターを上げてオープンしたが、(いらっしゃいませの)一言も発せず冷たい会社をイメージした。

早速、一番札で入って「電池がヘタって・・・」と説明し、交換の依頼をした。

昨日新宿のショップを訪問しているので、応えは分かっているつもりであった。

予想通り、「在庫がないので取り寄せに一週間程度必要」との事。

ここまでは同じであるが、電池が来るまでをどう過ごすのか?を聞いたところ、「待つしかない」である。

かーっと頭に血が昇った。 電池が届くまで電話を使えないのか、と聞くと「そうだ」と言う。

そんな馬鹿なことがあるか!! 代わりの貸出用の器械があるはずだろう、・・・と。

やがて、奥から同機種を持ってきてこの電池を入れ替えてみましょうか、ということでとりあえずその電池を借りてきた。

それにしても、Auのショップでは嫌な思いをすることが、過去にも何度かあるのだ。

行く度に嫌な思いをする訳ではないのだが、教育が行き届いてない社員が多いのではないのかと思う。

今のままの対応をするようなら、契約が終了したら別のところと契約するだろうな。

横浜から船に乗って

今朝は5時30分に出て、横浜港に向かった。

息子が運転するトラックにAT-2000を24台積んで、乙仲業者の梱包倉庫に急いだ。

思ったより道路の混雑が少なく、ほぼ予定通りの8時10分に到着した。

この時間は通勤にはまだ早く、元来大きな倉庫の割に働いている人は少ないと予想され、人気がほとんどない。

心配しながら倉庫事務所のドアを叩くと、中から担当者が出てきて荷物を受け取ってくれた。

送り状にサインをもらって、荷物発送の仕事は終わった。

 その後、トラックで東京に向かって新宿で降ろしてもらい、虎ノ門の特許庁に向かう。

今週半ばに書き上げていた特許の出願を行い、中国人の林さんに会おうと電話しようと・・・。

何と、電池が切れているではないか。 昨日の夕方充電したのに、・・・何となく電池のヘタリを感じていたがこんな事態になるとは。

Au-shop に行くと、電池は取り寄せで1週間くらい掛かるという。 その間、代用の電話を使ってくださいと言うが、また返却に来ないといけないではないか。

使用しているときは便利だが、使えないとなるとイライラしてくるし本当に困ってしまう。

結局、急速充電して電話するが、留守電で会えずじまいである。 八王子に戻って、暫くしたら電話があって来週に会うことになった。

AT-2000を北京の機関に持ち込んでPm2.5の捕捉試験を行った結果、非常に良好な結果だったらしい。 楽しみである。

黒色暴雨

明朝、横浜の港にある乙仲(輸出入業)に荷物を運ぶ予定だ。

八王子からトラックで行くのだが、週末なので道路が混雑する可能性がある。

少し早目に出て行こうと計画しているところだ。

荷物は空気清浄機AT-2000だ。 香港まで船で送るのだが、まる5日間かかる予定。

この件で送り先の香港へ電話を入れたところ、「大変だよ。大雨で事務所に泥水が入ってきて汲み出しているところだ」と言う。

昨夜の雨が酷くて20cm位の高さで水浸しで、こんな事は初めてだという。

彼の事務所は香港島のちょっと低い場所の一階に、構えて既に25年ぐらいは経つ。

こちらの用件を伝えて電話を切ったあと、パソコンで香港のことを調べてみると、確かに豪雨が襲っている。

「黒色暴雨警告信号」と書いてある。漢字をみても凄そうな呼称である。

この時期は気温が30℃位になって暑いのだが、何しろ湿度が高いのでベタベタだ。

80%~90%の湿度を表示するのだ。 

そんな土地で、お店の中やタクシーは冷房をこれでもか、と回していて長袖がないと風邪をひく。

暫く出かけていないが、電話をしていると向こうの匂いがする思いだった。、

特許貧乏

生涯で何件出願するのだろうか、自分でも予測がつかない。

色々なアイデアを具現化した時に、特許や実用新案、商標登録といった権利化した方が良い、と考えることが多い。

今も抱えているのが3件あるが、書く事には相当な労力が要る仕事である。

既に世の中にあって、新規性が果たしてあるのか、という調査から始まる。

今は、過去の特許情報がパソコンで簡単に調査できる。

かっての、特許庁に出かけて一日掛りで調べるといったことが、遠い昔のことになってしまった。

そう言う意味でコンピューターの発達には、目を見張るし大きな恩恵を受けている。

次に、出願の組立(骨組み)を考えるが、特許の心臓部である「特許請求の範囲」をどうするかである。

特許はこの請求範囲で効力が決まってくるのだ。 つまり、如何に広い範囲の権利が押さえられるかが肝要だ。

 こういうように、偉そうなことを言ってみても、出願した中で権利行使をしているものは5%位かな。

効率は悪いが、「もしも当たったら」と、思うと出願してしまうのだ。

ある意味では、これも中毒みたいな症状が出てしまう。

だから、他人は小生のことを特許貧乏と言っているようだ。

古き同志

年齢は小生の一回り下であるK君から久々の電話があった。

省エネ関係の会社を経営しているが、景気が低迷していたこの4~5年は低調のだったようだ。

アベノミックスとかで、最近は投資意欲が少し回復傾向にあるようだと、話ししていた。

身の回りに景気回復の兆しの話があるのは、珍しいが気分は悪くない出来事である。

氏とは仕事を一緒にしていた時代があったのだが、ある時から疎遠となった。

疎遠の時間が15年程あったのだが、小社に在籍して昨年5月に逝ってしまった池田君の仲立ちで再会した。

 また今年も5月が来、過ぎ去ろうとしている。 彼の死後、色々なことがありすぎた。

懸命に駆けてきたが、まだまだ明るさは遠く微かに見える程度だ。

K氏から電話をもらい色んな話をしたが、今度も池田君が繋いだのではないかと、不思議に感じるのだ。

空気清浄機の話に始まり、トイレの話と長電話だけど全てを話せない。

近々に当方を訪問することで話は終わったが、資料をメールでと。

20年前とは情報伝達の手段が大きく変わった