恐竜かバクテリアか

雑感

知人が横浜アリーナで恐竜博に行ってきたとのこと。

確か、オーストラリアからの展示で、大人が観ても面白いとのことだ。

例年夏休みになると恐竜博が催されているが、今年は横浜らしい。

一人でわざわざ出かけるほどの熱意はないのだが、孫に聞いて「行きたい」と言うのなら考えても良いと思っている。

小生は「恐竜」と聞くと、何か血が騒ぐのだ。

いつの時代でも「恐竜」を題材とすれば、ビジネスが成功するほどの定番商品だ。

恐竜との対比で出るのが、小動物やバクテリアがである。

体の大きさの対比が両極にあるし、恐竜の絶滅と小動物の繁栄を対比しやすいからだろうか

ある時代には覇者だった恐竜が一斉に滅んだのも、特定の環境には最適応したものの、その後の急激な変化に耐えられなかったからだ。

今、地球上でバクテリアは、最低級な生物と思われているが、あるものは生殖を単細胞でやってのけ、熱闘中でも無酸素下でも生きていける。

このようなことを見るに、進化の頂点はバクテリアなのかもしれない。

驕る人間への警告を与えているように見える。

バンザイの意味

参院選挙が終わって、開票が進み当選や当確が出ると、「万歳」が沸き起こる。

山本太郎氏だけは万歳をしなかった。

彼なりの主張、今後に期するものがあってのことだろう。

一般的に「当選」=「万歳」+「だるまの目入れ」が、行われるのを良く目にする。

それほど「バンザイ」は政治的セレモニーと切っても切れない関係にある。

バンザイの起源は相当に古いものと思われるが、どうも100年ぐらい前からのものらしい。

石井研堂の「明治事物起源」によれば、「近年万歳を高唱することは、明治22年に始まる」とある。

同日に帝国憲法発布の祭典が催され、観兵式が執り行われた時、式に臨んだ大学生がどこからともなく「バンザイ」の声を挙げたことを起源とする、と記されている。

バンザイの歴史は政治的セレモニーで使われることが多いが、一般的には「会社がバンザイだよ」とか「お手上げから転じてバンザイ」等のマイナスの意味で使われることが多い。

政治家たちよ、まっとうな政治はお手上げで、バンザイと言っているのではないだろうね。

きちんとやってもらわなければ困るのだ。

選挙が終わって

参院選挙が終わった。

マスコミが選挙の前から報道している通りの結果である。

この事が果たして公平な選挙を行っていることになるのだろうかと、疑問に思うこととがある。

報道していることは正確であるが、報道によって結果を知らせれ、選挙に行っても仕方がないと思う人も出るだろう。

昔は?開票しないと、それも手に汗握る、開票報道だった。

昨日などは、8:00(投票締切時刻)に、当選確実の報道だ。

開票率0%で、当選確実だよ。

結果はご存知の通りであるが、衆議院の落選者が参議院に回っているこの現象に違和感を覚える。

衆院がダメなら参院では、参院はセーフティーネットでしかない。

まるで老後の給与保証をやっている選挙のような気がしてくる。

高い報酬の国会議員さんよ、「言ったことはやってくれよ」。

国民の方を向いた政治をやってくれよな。

ワッハッハ

いや~な話を耳にしたので、当然面白くない。

小生にいろいろ頼んできて、新しい発想の葬具を開発した。

それを見て、「私にやらせて下さい」と頼み込まれ、「そこまで言うなら」と任せた男がいる。

見本を幾つも制作してやり、彼が営業すると持ち歩いていたが、一言もなく現れなくなった。

大人の行動にしては「どうか?」と思うが、小生にこの男を紹介したH氏が男と飲んでいたよ、と教えてくれた。

現れなくなったとき、氏は男の事を散々悪口を言っていたが、何だったのか。

こんな話を聞くにつけ、世の中は分からない、人を信用し過ぎてはいけないのか、と思ったりもするが・・・。

無視しようと思いながらも、立腹している別な自分がいるのだ。

 スマイル、スマイルと言い聞かせ、吐く息を強調して大きく体全体で笑ったり、声を出さないで、は~っと息を吐きながら笑顔を作ったりする。

作り笑いでも無いよりは良いのかも、と思いながらだ。

8月8日は、「はっ、はっ、は」で笑いの日だそうだ。

他人を裏切るようなことはすまい、と笑いながら言い聞かせた本日である。

 

 

一杯の水

つい先日、水不足について書いたが、どうなったのだろうか。

35°cの猛暑日が続いたが、昨日・一昨日は過ごしやすい気温が続いた。

かと思いきや、今日は蒸し暑くてやりきれない。

いくら嘆いたところで、人間の勝手は自然の摂理には到底及ばない。

不足の時には満たされ、溢れるとそれを減らす作用の働くバランス機能が、人間生活の営みを助けているのが自然だ。

 人間の体も全く同じだ。

食物にしても、水にしても不足の状態だと、イライラして正常な思考は働かない。

時には栄養が行き渡らずに、健康を害することもある。

しかし飽食が過ぎると、人間の各器官は障害をきたし、体を壊してしまう。

これを調節するのは、人間の意志の力だ

  心の中のコップの水がいつも一杯では人の心の痛みを思いやることはできない。

  頭の中のコップの水が、いつも一杯では新しい知識を吸収することはできない。