2013年12月19日 17:14 - CATEGORY: 雑感
思いもよらず、本年は病気を宣告された。
しかも、一昔前なら「死の宣告」と同じと思われた「癌」を言い渡された。
早期発見で手術すれば生存率は高いのであろうが、手術というのはできればやりたくない。
現在は、マーカーの指標が下がって、「病気の状態を様子見」期間が6ヶ月経過している。
マーカーが危険値を超してから、友人が勧める飲み物をのんでいるが、何故下がったのかは不明だ。
こんな事があって、思い出すのが「森鴎外の話」である。
森鴎外は自分が医学者であるにもかかわらず、徹底的な医者嫌いであった。
検査や診断を受けて事実を知ったとて、気分が悪くなるばかりである。
名医に診てもらって気分悪く一年長生きするより、病気を知らず気分良く仕事をして、一年早くこの世からオサラバしたほうがいいというのが鴎外の結論であった。
病院に入るからこそ、「帆を張ってるような生き方」ができなくなり、人格が崩壊して本当に病気になってしまうのだ、と。
本日東京都知事を辞任した猪瀬直樹氏の著書に出ていた。
へそ曲がりでなくとも、一生涯入院したくない。
2013年12月17日 17:48 - CATEGORY: 未分類
年末だというので「来年はこうなる」なんて話が賑やかだけど。
こんなご時世に「先を見通す」なんてことは、余り意味がないように思える。
円相場が5円上がっただけで、世の中真逆になるんだから。
現在の問題を見るだけでも、「TPPの問題」「普天間の基地問題」「原発の稼働問題」「消費税の問題」等山積する。
外を見てもどうなるかわからない。
核保有のイランがアメリカとの関係修復に動いている。
もう一つの核保有問題国の北朝鮮は、No.2の張成沢を突然処刑した。(中国に知られる前に慌てて処刑した?)
様々な見方があるが、親中派の粛清によって中国との関係がギクシャクしてくるという意見もある。
アメリカとの関係を重視している北の姿勢からは、それもありかなとも思う。
最近の韓国は中国寄りの態度であるから、日、米、中、北の関係もどうなっていくのだろう。
身の周りでも何が起きるか、気張った目標を立てたところで、外れるだけ。
先を読むより、足元を固めることだろうと思っている。
2013年12月16日 16:19 - CATEGORY: 雑感
よく書く事だが、歳のせいだろうか物忘れが増えた。
まだまだ若者には負けぬつもりでも、少し忙しくなると困った事に「うっかり」が、頭をもたげる。
「日のあるうちに働け」という諺がありますが、当たり前に思ってはいけない。
その意味は、人間生きているうちに心残りのないよう、やるべきことはキチンとやるということだろう。
誰でも悔いを残したくないと思っているはず。
生きているうちに心残りのないように、つまり、後で悔いのないようにしようと誰しもが思っているはず。
この事は、一生という意味もありますが、毎日の生活の中でも言えること。
「今日やれることは明日に延ばすな」という事だ。
こうしなければいけないと思うことがあれば、その日のうちに済ませておくことが大切だ。
例えば、あの人への不義理を早く詫びておかねばとか、何々の件について連絡しておこうとか、あの本を読破しようとか、日常心に引っかかる事が色々あるが、それを一日伸ばしの市内で即実行しよう。
今年を振り返って、反省を含めて記した。
2013年12月13日 15:58 - CATEGORY: 雑感
八王子の夜8時になると、歓楽街に軽トラの焼き芋屋が現れる。
寒い夜に「お姉さんへのお土産」で、買っていくおじさんをよく見かける。
この軽トラにはないが、「九里四里うまい十三里」と書いたものを見たことがある。
「栗よりうまい」のシャレだろう、と見当はつくが、いつ頃始まったキャッチコピーなのか。
江戸末期に宮川政運なる人が書いた「俗事百工起源」という本に、文化3、4年というから1806、7年ごろ、「看板に、八里半、と書いておおいに売った焼き芋屋があった」という。
八里半は九里に近い、だから「栗に近い味ですよ」ということだ。
江戸っ子はこういう言葉遊びが大好きで、なるほどこの店は流行っただろうと想像できる。
だが、栗に近い、ではやっぱり栗より味は劣ることになる。
そこで一気に里程を増やして、十三里芋、と書いた看板が出現した。
「是れ八里半の上にて、栗より(九里四里)」うまし、と言えることになり、と著者は書いている。
その後、八里半の看板は絶えて無くなったそうだから、今も昔も広告というのは大げさになりがちなものらしい。
焼き芋のシーズンである。
2013年12月12日 17:19 - CATEGORY: 雑感
2013年も残りが少なくなってきた。
街はクリスマスで飾られて、冷えた空気にライトが輝くといかにも12月らしい。
12月と1月は続いているのだから、年末で時間が切れているわけではないのに、一区切りという感はある。
毎年同じことが繰り返されて、自然と身についていることだから不思議も感じないのだ。
それはそれで、実際は大した変化があるわけではない。
ただ、新しい年が良い年であってほしい、という気持ちは変わりがない。
地球が自転し、太陽の周りを公転している限り、時は淡々と過ぎ、明るくなり、暗くなり、それを朝と呼び、夜と名付け、季節の移り変わりも確実にやってくるだ。
時には、今年のように異常と呼ばれる気象になっても。
日はめぐり年は移っても、その基本は毎日毎日、一日一日なのだ。
今日のこの日を新たな気分で、新たな気持ちで、一日一日重ねていくより他あるまい。