名刺はその人の顔

OLYMPUS DIGITAL CAMERA三月末日の年度末である。

明日から消費税がアップするので、ニュースでは大きく取り上げている。

新年度が始まって、消費税アップが景気に及ぼす影響が取りざたされているが、果たして…。

明日からは新社会人がスタートを切るわけであるが、この時期になると気になることがある。

一つは先日書いた電話のことである。

もう一つが名刺に関することである

訪問先で名刺交換する際は、訪問する側から差し出すのが基本だ。

交換する相手が見やすい向きで、両手で持って、胸の高さで差し出すのが原則だ。

「相手の目を見て名刺を差し出し、明るくテキパキと自己紹介する

名刺が折れていたり、汚れていてはどうにもなりませんので、事前チェックしておくことだ。

財布や定期入れから名刺を出す人がいますが、名刺入れを持つことは必携である。

受けるときは両手でが原則だが、相手が複数の場合は左手で名刺入れを持ったままで構わないとされる。

名刺入れをお盆代わりにして載せて頂く形がスマートで、笑顔で”頂戴します”の一言を添えれば万全だ。

もらった名刺はすぐ名刺入れにしまう事が原則だが、複数の場合はテーブルに並べて置く。

この場合、名刺を指したりいじったりしないことだ。

相手に失礼のないような名刺の受け渡しを心掛けたいものだ。

おっ、茶柱が

雑感

攻撃的な性格かどうかを見る方法として、使用している歯ブラシを見るとわかるらしい。

攻撃的な人は、自分の歯を磨く時でもまるで挑みかかるように強く、乱暴にやるようだ。

だから歯ブラシがすぐ痛む。 「歯は優しくゆっくり磨くほうが、汚れはよく落ちるのだが、知らず知らず力が入ってしまうのだ」

几帳面な人や頑張り屋に多いと言われるが、あまり攻撃的な性格も困りものだという場合がある。

最近は縁起を担ぐ人に向けた「必ず茶柱が立つお茶」が売り出され、良く売れているらしい。

特に入学試験や入社試験の時期には売れているようだ。

茶濾器の性能が良くなって茶柱が出にくくなっているが、茶柱が立っているかどうかを確かめながらお茶を飲む余裕がほしい。

朝からせっかちに、がぶがぶ飲むようではとても落ち着きのある一日は迎えられない。

ゆっくり味わい、茶柱が立っているな、と思う余裕があって初めて平常心で仕事に取り掛かれる。

茶柱を見つけられるくらいのゆとりを持って、朝のお茶を飲むと良いことがありそうだ。

電話に目あり

新入社員研修の事を一昨日書いたが、電話のことで思い出す話があるので書いてみる。

かって、接遇指導センターの女性が語ったものである。

女学校を卒業して間もないハイティーンの頃、横浜の小さな会社に勤めていました。

ある日、社長に書類を届けるために、緊張しながら初めてノックした。

「偉い方、と評判でしたからやっぱり怖いような気持でした。」入ってみると、社長は立ったまま電話しているところでした。

終わるのを待つうち、信じられないような光景を目にしたのです。

「受話器を手にしながら、社長がお辞儀をなさいました。それも腰を折って、深々とお辞儀を。」

一瞬ポカーンとした後、可笑しくてたまらなくなってきました。

相手が見えない電話で、どうしてお辞儀するのだろう、この人変じゃないかしら……。

あの時笑ったのは間違いだった、と気付くまでにには長い歳月が必要でした。

別の場所でこの事に気付くきっかけがあったのです。

「礼儀正しい言葉遣いで、感じが良い。その上朗らかだし、マニュアル通りでない誠実さがある」電話を受けたのです。

「ありがとうございます」と言った時、本当にお辞儀をしたように聞こえたのです。

電話には目がある、相手がお辞儀するのがわかるものなのです。

お辞儀するほど礼儀正しく話すことが、話し方全体の感じの良さとして自ずと伝わってくるものなのです

桜、しばし止めん

午前中は病院で過ごした。

殆んどが待ち時間であるが、結果が良好であったのでそれほど苦に感じなかった。

待ち時間を持って行った「桜、しばし止めん」の特集記事を読んで過ごした。

様々な角度から「桜」にスポットライトを当てて書いているのだが、流石に「日本人と桜」には深い関係があることがわかる。

平安時代以前は、中国の影響で古來花というイメージを代表して梅が重宝されていた。

桜が日本を代表する花として、愛でられ高揚したのが江戸時代だそうだ。

そこには仏教思想と武家社会の美意識が価値を決定させた。

その感性とは、諸行無常、盛者必衰という物理的価値観の否定であり、花の散り際の美しさは常に死と向き合う武士の立場と重なるものがあった。

また、桜が過剰ともいえる満開の後に一斉に散り、その後に力強く濃い緑色に満ちた若葉を黒く男性的な幹とともに身に纏うからだ。

可憐な花の壮絶な死に様を超えて、永遠とも思われるような生命が生じ寒さを吹き飛ばしてくれる。

死ぬことはつまり生きることに通じる。

このようなことが営々と述べられていて、面白かった。

新年度は間近か

よくお昼を摂る近所のホテルで、中華そばを食べてきた。

予約で席の2/3 程にナプキンが綺麗に畳まれて置いてある。

暫くすると、若い人たちがやってきて席について、食事が始まった。

普段の顔と違うだろうな、と感じられるほど緊張して静かな食事風景だ。

サラリーマン時代の小生も、新入社員の研修を担当したこともあって、最近の新卒者はどんなだろうと・・・。

子供の頃から外で遊ぶことより、パソコンのバーチャルゲームに熱中して育った世代だ。

人間関係でもまれていないので、大人になりきっていない部分も多いだろう。

パソコンゲームでは、失敗したり戦いに負けてもリセットボタンを押せば、またゼロからやり直せる。

 実際の人生や仕事では、リセットしてやり直すというわけにはいかない。

「反省」や「教訓」という言葉は存在しないと言われる事もあるが、よーく分からせることだ。

ミスや失敗の原因を自分なりに分析させて、次に生かすことを教えることだろうと思う。

そして、人間関係の大切さを感じさせることだろう。

彼らが、自ら感じ、考え、行動することに役立つ研修であって欲しいと願った。