横綱・鶴竜の誕生

昨日の大相撲・千秋楽で、鶴竜対琴奨菊の大関対決を鶴竜が制して優勝と横綱を手中にした。

少ないチャンスをものにした鶴竜は、「心・技・体」の鍛錬を積み重ねた上でのことだろう。

日本人でチャンスが度々ありながら、ずっこける大関とは段違いだ。

鶴竜にはモンゴル出身の他力士にない雰囲気をを持っていることと、井筒部屋に所属することから応援していた。

鶴竜が所属する「井筒部屋」と、鹿児島との関係がある。

昭和30~40年頃に活躍した鶴ヶ嶺が所属し、双差しの名人として有名で技能賞の常連だった。

引退後、井筒親方として寺尾三兄弟を育て、逆鉾、寺尾の幕内力士を生み出した。

やがて、逆鉾が部屋の跡を継いで、今度は横綱を育て上げた。

この部屋は鹿児島県出身の鶴ヶ嶺が、地道な努力で積み重ねてきた事を同郷の誼で知っているのだ。

まさに鶴竜はこの井筒部屋の歴史を語るに相応しい力士なのだと思う。

少ないチャンスをものにした鶴竜から、次のことが言えるのではないのか。

1. 物事を良いほうに、良いほうに考える。

  2.不遇の時代にもコツコツと勉強し、実力を蓄える。

  3.苦しい時ほど明るくふるまう。

  4.弱音を吐かない。

鶴竜の横綱としての土俵入りが待ち遠しい。きっと、雲竜型の土俵入りとなるだろうな。

来訪者2名

雑感

約束の時間にぴったりの来訪者2名。

1人は先月初めてお会いした某社・営業の統括本部長で、もう1人は違う会社の営業マネージャーであった。

非常用備蓄トイレと空気清浄機のことで、わざわざお越しいただいた。

小社の事務所は狭くてごちゃごちゃしているのだが、商品を見ていただく都合があるので来訪をお願いしている。

特に非常用備蓄トイレについては、現物と販売システムについての理解を頂く必要があるからだ。

本日の来訪者は、一線で活躍中の営業マンであるので理解が速い。

営業という仕事は、成功のために確実な方法はないはずだ。

要は、人間を買って頂くものだろうと思っている。

買って頂く相手に、売り手が如何に信頼されるかに掛かっているのだから、技巧を凝らす必要はない。

分かりやすい説明が、説得力を生み、信頼へと繋がっていくのだろうと考えている。

それでも、第一印象が悪くてはどうにもならない。

身だしなみは「清潔」「ひかえめ」で「笑顔」「笑顔」「笑顔」だ。

今日の二人には期待できるかな。

時の経過

小生の長男の友人が旅館を継いで頑張っているので、訪ねてきた。

東京都あきる野市を、どんどん山に向かって(檜原方向)行くと乙津という場所にある。

杉山が迫ってきて、先日降った大雪が解けずに道路脇に積んである。

川に近く夏に来るには良いだろうなと思うが、冬はさぞ大変な事だろう。

「本陣」という宿で、宿泊人員32名のこじんまりした旅籠である。

20年程前は長男と友人は同年齢ということもあって、我が家に良く遊びに来て泊まっていた。

その後の経過は知らないが、お互いに最近は地元の消防団に入っていて、時折会一緒になることがあるらしい。

小社の「非常用備蓄トイレ」の件で訪問したのだが、昔話に花が咲いて長居をしてしまった。

年を取ると時間の経つのが速くなる…?

これは恐らく40を超えた人間に共通する実感だろう。

実際には時間は誰にでも平等に与えられた唯一のものだから、速い・遅いはない。

多分、お尻が切られている状態で、間近になると時間が速く過ぎると感じるのだろうな。

 

サクラサクか

T氏が女性を伴って来社した。

大手飲料会社の所長と4人で、3時間ほどの打ち合わせを行った。

小社の備蓄トイレと自動販売機が、コラボした営業展開を図ろうというものだ。

女性はそれまで炭化炉の営業を担当していたとのことで、質問もなかなか鋭い。

小社のこれまでの経験と併わせて、拡販ができるであろうと確信を持てた。

中国の諺に「桃李ものいわざれど、下自ら径をなす」という言葉がある。

日本ならさしずめ「桜花ものいわざれど、下自ら宴会場と化す」というところか。

人で言えば、才能や値打ちがあれば、吹聴しなくても自然に人が集まる、という意味が込められている。

果たしてそうか。 優れた能力を持ちながら、人知れず埋もれたまま終わる人はいくらでもいる。

 人に認められてこそ、自分の良さは発揮でき、良い仕事もできる。

良い仕事とは人の役に立つ仕事だ。人を喜ばせる仕事だ。良心を満足させる仕事だ。

それで見返りがないなら、PR不足である。

「良い仕事+PR」それでこそ「下自ら径をなす」のだ。

呼びかけることだ。時季を過ぎれば花は散ってしまう。、

 

 

桜間近か

熊本県の天草で桜が開花したという。

これから春一番が吹いて、桜前線が北へ北へと昇っていくニュースが続くだろう。

日本人と桜の関係は奥が深い。

桜の散り様に日本人の死生観がダブっているとはよく指摘されることである。

このことは、明治以降の富国強兵策や戦争、ナショナリズム等が背景にあったのだろう。

今でも日本全国の小学校の校庭に戦前からの桜が残っていて、日本人の思いが詰まっている感がするのだ。

現在のこれらの桜は、平和を求める日本人の心を象徴する花として位置付けられている

テレビでは北朝鮮に拉致された「横田めぐみさんの両親」が、モンゴルで孫に会ったというニュースを流している。

今までの横田夫妻の映像で、こんなに嬉しそうな顔を見たのは初めてだ。

孫とひ孫に初めて会った”おじいちゃん、おばあちゃん”、どんなに嬉しかったことだろう。

誘拐という行為はもちろん、その後は政治に翻弄され続けた「拉致被害者」に桜の開花が訪れる日はいつか