池田君の事
土壌改良を専門にしていたが、医学博士でアイソトープや医療関係にも造詣が深かった。
何かの展示会に彼が出展していて、名刺交換をしたのが最初の出会いであった。
数年を経て、日本のNGOの理事長からの問い合わせが再会のきっかけとなった。
その団体は中国で砂漠の緑化をすすめているのだが、植樹の際に使用する肥料として北京の汚泥を使えないかという問い合わせであった。
小生の専門外であったので、誰かいないかと探して彼に突き当たったのだった。
この件では、彼に北京まで行ってもらって検討したが、汚泥の汚れ(という言い方もおかしいが)が酷過ぎて使用を断念せざるを得なかった。
その後縁あって、彼と「福島の事に役立つことをやろう」と日夜励んだ。
福島に出向いたことも数知れないが、原発に近寄れるだけ近寄って放射能汚染された枯葉を大量に集めて、某所で枯葉の炭を作ったな。
放射性物質の吸着試験をどの機関にいらしても断られたために、放射性物質の標準物質を作ることからしかデータが出せなかったからだ。
経験したことの無い逆境の時、役人たちの逃げ腰の対応には呆れ果てたことを思い出す。
温厚な君が都庁の役人に大声で怒鳴ったことは未だに耳に残っているぞ。
池田君は志半ばで逝ってしまったが、かれの意思の一片でも達成させたいと日頃から思っている。
3回忌に当たって、その思いを新たにしたところだ。