地獄・極楽
都内の大手葬儀社の購買部にお邪魔した。 弊社が開発した装具の案内に出かけたのだ。
葬儀社とお寺とは深い関わりを持って仕事していることは分かっていたが、どうも複雑な関係のような印象を得た。
そのことはどうでも良いことであるが、葬儀の先にあることを通じて、現世の生き方を僧侶はもっと説くべきではないのかと思う。
どこかで聞いたことがある話を紹介したいが、笑わないで欲しい。
地獄と極楽は見たところ全く同じである。
どちらも広い部屋の真ん中に大きな釜があって、うどんが煮えている。 釜の大きさも人数もめいめいの前のつけ汁も全く同じ。
奇妙なことに、各人の箸の長さが1m程もあるがそれも同じだ。 どちらも箸の端を持って釜のうどんを食べなければならない決まりだ。
長い箸の端を持ってうどんを釜から取り、自分の前のつけ汁まではどちらも同じようにできる。
ところが地獄の人たちは、どうしても食べることができない。 我先に食べようとするのだが、箸が長すぎてうどんが口に運べないのだ。
それは極楽でも同じことでは?・・・と思いますか。
それが違うのだ。 極楽では、自分の長い箸の先のうどんを、向かい側の人に食べさせてやるのだ。
すると、向かい側の人がお返しに、長い箸に先にうどんを乗せてこちらの口に運んでくれるのだ。
その点だけが、地獄と極楽の違いだ。