九尺二間
花見の季節に、東京では上野だろう。
江戸は18世紀に入る頃には、約100万の大都市だったという。
大きな屋敷を構えていたのは、武家と寺社であった。
人口の半分の町人たちは、神田から東海道筋と浅草、そして墨東という狭い地域に暮らしていた。
町人の多くは、零細な職人や商人達、あるいは日雇いであった。
彼らは九尺二間(くしゃくにけん)と通称された狭い長屋住まいで、今でいう1Kから2Kのアパート住まいの住環境であった。
水や便所は共同利用で、夜になると町ごとの木戸が閉まるという囲い込まれた居住空間では、かなりのストレスが生じたと思われる。
おまけに江戸時代は身分制社会で、髪型や衣服、持ち物を見れば身分や職業がすぐにわかる時代だ。
こうした隣家の物音が聞こえ、また隣人たちの経済状態まで手に取るように分かった長屋住まいの人達にとって、むしろ人混みの中に精神的な、物理的な自由を得ていたのだろう。
両国橋の橋詰や上野広小路では、髪型からの人形操りや見世物小屋だとか、射的場などの遊興施設、そして水茶屋が作られた。
こうした盛り場へ遊びに出かけるには湯屋で身を清め、髪結い床で整髪し、身奇麗にして出かけたのだ。
湯屋は2階が娯楽センターになっていて、髪結いは町の情報センターで、町人の社交場だったのだ。
今日は「江戸文化」を紐解いてみたが、現代とさして変わらないようだ。