理論と情
「ある商店の店先を覗き込んでいた貧しい身なりの老人が、つい出来心から並べられた商品を盗んでしまいました」
あなたがそれを目撃したら、どうしますか?
さる高名な数学者の講演会で聞いた話を思い出した。
世の中では「犯罪者として警察へ」「お気の毒に。見て見ぬふり」の二通りがある。
盗むという行為は犯罪者として扱われても当然だ。が、・・・。
同じ行為を目撃しても、論理を優先させるか、情緒を優先させるかで、結果は違ってくる。
往々にして、秀才と言われる人は論理的で血も涙もない事が多い。
反面、秀才で無い人は他人の不幸に対する敏感さを、持ち合わせている場合が多いように思う。
この敏感さが情緒で、夕焼けの美しさを観て感動する心、周囲と調和を保って生きようとする気持ちだと思う。
この2週間のH社の対応を観ていて、「情」には感情、心情等の「気持ち」を表現するものだ。
一方、理情、論情等の言葉は存在しない。
「情」=心の青さを表す言葉である。