敬老の日
昨日は敬老の日であった。
祝日であることは分かっていたが、敬老の日であるとは知らなかった。と言うより自分には関係ないと、思っていたのだろう。
一般的には、自分だけはそんなに年をとってはいない、と考えている節があり、小生も例外ではない。
それでも、敬老の日に孫たちからプレゼントを贈られると、流石に自覚せざるを得ない。
オマケに「おじいちゃんは歯が悪いから、柔らかいどら焼きにしたよ」には、がっくりだ。
この贈り物に関しては、日本と欧米では違いがあるように思う。
欧米ではプレゼントされたものをいつまでも記憶しているそうだ。 贈り主が訪ねてくる時、その贈り物を玄関や客室に飾るという。
日本人でもそのような気配りをする人もいるだろうが、一般的ではない。
日本の仏教では「布施」の考え方がある。
布施の考え方は、贈った方も貰った方もそれを早く忘れてしまった方が良いのだ。
人に贈り物をしていつまでも覚えているのは、「これは私があげたものだ」と言う事で、あげたことにならないという考え方だ。
あげた人に貸している、場合によっては必要な時には返してくれ、と言っているようなもの、という捉え方だ。
仏教の考え方で、「早く忘れろ」とはこのような意味なのだ。
仏教の考え方は誠に合理的で、貰った事を忘れてしまえばお布施が完了するのだ。
貰った事を覚えていれば、お返ししなければならぬ、という強迫観念に悩まされるからだ。