体罰問題
滋賀県の中学生、大阪市のバスケットボール部キャプテンの体罰が原因であろう自殺問題。
これに続いて女子柔道の体罰、パワハラが問題として提起されている。
小生の年代が中学生時代は、学校の先生は絶対であって、顔を平手打ちされるのはそんなに珍しいことではなかった。
言葉できちんと説明された覚えもないが、自分が悪いことをしたという自覚をしていたので、やられて当然という感覚だった。
今、近代国家においては、暴力に頼っての教育は効果がないということが分かってきているのだ。
「教育」とは何か、が問われているのだ。
教え、育むと書くが、「教育とは教えることではなく、考えることを教えることだ」
つまり、問題点は何かを考えさせるということである。
問題点が見つかれば、問題を解決するために考えて知恵を出す。
自らが導きだした解決策だから、未熟であってもなんとか成し遂げたいと、行動が伴うものだ。
この事は年代に関係なく、「楽」に通じるように思う。
音楽家は「音が苦」「音學」「音楽」の段階を踏む。 つまり、楽しむためには考え、知恵を出し、行動をするという事だ。
本日の結論:教育とは考えるチャンスを与えること。