仕事を通じて心が見える

OLYMPUS DIGITAL CAMERA4月8日はお釈迦様の日だそうだ。

近所のレストランでは、毎年「象にお釈迦様が乗った像」が展示されている。

この頃になると春本番で桜も見頃となり、心もうきうきしてくるものだ。

ところで、4月から封書の値段が80円から82円になったので、郵便局に行って82円の記念切手を買ってきた。

小社では郵便を出す際には、必ず記念切手を貼って投函するようにしている。

同じ金額(82円)なら、通常切手を使用するよりも記念切手を貼って出す方が相手の印象に残る。

同じコストをかけるなら、記念切手の方が勝っているだろうと思って20年以上続けている行為だ。

切手の事でもう一つ。

切手を貼ること一つとっても、多くのことが見えてくる。

きちんと貼ったもの、傾いたもの、逆さまに張られたもの・・・。

受け取った側は、切手の貼り方ひとつで何かを感じるはずだ。

本来の仕事に関係ないような、切手貼りや雑務を通して見えてくることがあるのだ。

小さなことをきちんとできなくては、大きなことは任せられないしできないだろう。

明日にしようと言わないで、今日のことは今日やっておこう。

 明日にはまた明日やるべきことがある。

精一杯努力してみて、初めて生きる喜びを知る。

 

騙されて訪問あり

雑感
, 非常用トイレ
非常用トイレ

青梅の名門造り酒屋を訪問して、社長さんにお会いした。

自動販売機と備蓄トイレのコラボによる導入を検討して頂くための説明の機会を頂いた。

歴史を感じる酒蔵特有の建造物や雰囲気に圧倒されそうだが、穏やかな社長の対応と好結果に気持ちよく帰途についた。

途上の車内に先週、廃棄物回収で来訪した女性から電話が入った。

その時に、小社の備蓄トイレに興味を抱き是非話を聞きたいと、別れた経緯がある。

本日中に自販機と備蓄トイレの事で、どうしてもお会いしたいので時間を調整して欲しいという。

小生とY氏が同乗していたのだが、帰途に別の造り酒屋に挨拶に立ち寄ろうと予定していたのを取りやめて帰社。

予定より少し早めに帰社できたので、その旨を連絡して訪問してもらった。

何と2人連れではないか。

嫌な予感がしたが、当方は構わず備蓄トイレの話に入っていった。

どうしても話へのノリが悪いのが、分かるのだ。

小生の話が遮られ、政治の話になって、おまけに「運が付いていない」等と・・・。

その後、新聞が出てき、次は雑誌が出てきた。

こんな事に時間を費いやす気持ち等ないので、即刻お引き取り頂いた。

てっきり仕事のことで訪問したいのだ、と思っていたのでちょっ腹立たしかった。

 

ナマコの生き方

レイノ宣伝隊
, 雑感

石川啄木ではないけれど、働けど働けど我が暮らし楽にならず、じっと手を見てしまう方もいるのではないか。

昔読んだ標題の本の中にこんなことがあったと思うので、記憶を辿ってみたい。

現代の時間のスピードは、縄文時代より40~50倍速いのだそうだ。

つまり、暴走族並みのスピードで生きている事になる。

そこで、「ナマコ」のように生きることも大切だと・・・。

そもそも「ナマコ」はどんな生き物なのだ。

ナマコは日がな一日寝転がって、栄養の殆んどない砂を食べて生きている。

砂と一緒に飲み込んだ階層の切れ端や有機物の粒子、バクテリアなどを消化吸収しているのだ。

また、なまこは表皮を硬くしたりグニャグニャしたりと変幻自在。

普段は表皮を硬くして身を守っているが、魚に食いつかれたときはその部分を柔らかくして食いちぎらせて腸(このわた)まで吐き出す。

魚が喜んで食べている間に逃げるのだ。1~2週間で元通りになるのである。

何も望まず、争わずに生きることで、ナマコにとっては、この世は楽園なのだろう。

蛇に学ぶ

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昨日のブログを書いていて、トカゲの事で思い出したことがある。

トカゲが手足を失ってしまった結果、蛇になってしまったのだ。

蛇は「は虫類トカゲ目」に属すことからも分かる。

手足を失って、さぞ不自由になったのであろうと想像するが、全然そんなことはない。

草むらなどを這い回るのに、手足は邪魔なのだ。

むしろ、手足が無くなってから、敏捷性が増したのだ。

ペロペロ出す舌は、耳の役目もするし、臭いや空気の流れも感じ取るのだ。

それに、蛇の目には「まぶた」が無いので、目を閉じないのだ。

ガラスのようなウロコが目玉の前にあって、コンタクトレンズを入れているようなものなのだ。

蛇は手足の代わりを、あの長い胴がやってのける。

歩く、掴む、泳ぐ、十何等身かの胴体だけで、全部こなしているのだ。

奇妙な格好をしているから、常識外れだからと、。蛇を馬鹿にしてはいけない。

省力、合理化の先駆者なのだ。

常識で新しいものは生まれない。

無駄な蛇足は思い切りよく捨て去ること。

STAP細胞の事?

世紀の大発見から、疑惑のレポートに。

昨日は理研の調査結果が出されて、「データのねつ造、不正工作」と発表があった。

一方の小保方さんは「STAP細胞発見までが、ねつ造」と、捉れかねないとして異議申し立てをするそうだ。

我々には理解できないことが多いが、「万能細胞の初期化」に成功したということだった

例えば、トカゲが尻尾を失っても再び再生する。

植物の枝を折っても、その場所から枝が再生する。

一方、人間をはじめとする哺乳類では、自然の状態では再生しない、というのが世界の常識であった。

ところが、今回の騒動のスタートは、細胞を薄い酸に浸すことで「初期化」が起こるというものだった。

この初期化に対する結論は出ていないのだが、どうも怪しいのではないかとのニュアンスの報道が多いように思う。

ただ、研究者としてすぐバレてしまうような発表をなぜ行ったのか、が不思議でならない。

世紀の発見が世紀の疑惑に変わってしまい、関わった人達の研究人生も終わりとなった。